発行60年のJTB北海道時刻表が今年3月25日発売の4月号を最後に休刊するというのです。
時刻表に関してはちょっと思い入れがあるので書いてみます。
農家で育った私にとって家族旅行は夢の世界でした。
早朝から深夜迄働きづめの両親を見ていた私は、旅行など出来る状況に無いことは子供心なりに理解していたのかもしれません。
あったのは真夏に1日、留萌の海水浴場へ行く事ぐらいです。
そんな訳で小さい頃私の旅は田舎の書店で買ってもらった北海道の時刻表を見ながら頭の中でする独り旅だったのです。
でもこれが結構楽しかった記憶があります。
現在のように駅や付近の観光情報がインターネットで見られる時代ではなかったので、自分で勝手な想像をしながら思い耽っていたのです。
そういう観点からすれば私の愛読書は時刻表だったのかもしれません。
お陰様で北海道の駅名や地理に詳しくなったのはこの事があったからかもしれません。
さて私が保存している古い時刻表を掘り出してみました。
↑【交通公社の国鉄監修 北海道時刻表 昭和43年10月号】
昭和43年10月号の北海道時刻表です。
当時の交通公社(株式会社日本交通公社)、現在のJTB発行のものです。
この年、昭和43年8月は北海道に初めて電化区間が誕生しました。
函館本線、小樽~滝川間です。
当時滝川の隣町の中学生だった私は北海道初の電車に乗りたく、母を連れ札幌まで行った記憶があります。
蒸気機関車と違い静かにそしてスムーズに発車する電車の乗り心地に驚いたのでした。
当時本州の方は列車利用の際、「電車に乗る」と言っていましたが、北海道人の多くは「汽車に乗る」という表現が普通だったと思います。
修学旅行で京都へ行った際「次の汽車は何時ですか?」と聞いたところ「もう汽車は走ってませんよ!」と言われたのを思い出しました。
今考えると田舎者だったんですねぇ~。
当時北海道には多くの鉄道路線があり、鉄道ファンには憧れの土地でした。
そして北海道にも多くの私鉄路線があったのです。
炭鉱閉山や過疎化に伴い全てが廃止されてしまいました。
定山渓鉄道、夕張鉄道等々・・・
現在の札幌圏人口を考えると、これらの路線が残っていれば一部区間は十分採算路線になっていたと思われます。
↑【弘済出版社発行 道内時刻表 昭和44年11月号】
古い時刻表を見ていると北海道における鉄道の歴史が良くわかります。
空知の妹背牛町に生まれた私は買い物に旭川へ出かける機会がありました。
その時ほとんど汽車を利用し行っていました。
昭和44年10月1日、函館本線納内駅~伊納駅は電化工事と新トンネル開通に伴い新線に切り替わりました。
この結果途中にあった神居古潭駅は廃止となりました。
※神居古潭駅(Wikipedia)の歴史において廃止された年月が昭和44年6月30日とあるのは10月1日の誤りですね。
私の手元に昭和44年8月号と11月号の時刻表が残っていたので、神居古潭駅存廃時の時刻表をご覧下さい。
↑【弘済出版社発行 道内時刻表 昭和44年8月号】
↑【昭和44年8月号 深川~旭川間】
神居古潭駅の記載があります。
神居古潭駅の記載があります。
↑【弘済出版社発行 道内時刻表 昭和44年11月号】
↑【昭和44年11月号 深川~旭川間】
神居古潭駅の記載が無くなっています。
神居古潭駅の記載が無くなっています。
新旧路線の距離を比較してみます。
旧線:深川~旭川 32.2Km
新線:深川~旭川 30.2Km
と新線が2Km短縮になっています。
距離的な短縮もありますが、線形が新トンネル開通により直線化そして電化され、列車の高速走行が可能となりそれによる時間短縮効果が大きかったと思います。
旧線時代、札幌~旭川間は主列車である急行かむい(気動車)で2時間20分を要していました。
新線になり、電化されたこともあり札幌~旭川間は急行かむい(電車)で1時間55分となりました。
その後列車性能の向上もあり現在札幌~旭川間は特急スーパーカムイで1時間20分に迄短縮されました。
先日岩見沢~札幌間で特急スーパーカムイに乗車しましたが、速いばかりでなくシートを含め車内空間や照明がいたって快適なのには驚きました。
北海道内専用の時刻表は過去にJTB時刻表、北海道ダイヤ時刻表、道内時刻表の3社が発行していました。
北海道ダイヤ時刻表は2004年に廃刊となっており、JTB北海道時刻表が休刊すると残りは道内時刻表の1社のみとなってしまいます。
一つの都道府県内で地域専用時刻表を3社も発行していたということから往事の北海道鉄道利用依存度が高かったことを彷彿させてくれます。
インターネットや携帯電話の普及で、これら時刻表の役割が急速に減少しているのはIT時代の象徴かもしれません。
また自家用車の普及により移動手段に電車を利用する人も都市近郊以外では大幅に減少しています。
また私が小さい頃高値の花だった飛行機利用が手軽にできる現在、長距離移動に寝台列車を利用する方も減り続け、廃止となった名物ブルートレインも多くあります。
今も時々意味もなく時刻表を眺める事がありますが、小さい頃を思いだし楽しくなる自分が今もここにいます。
前述の旧神居古潭駅から旭川(旭西橋)間は旭川サイクリングロードとして一部跡地利用されています。
「旧神居古潭駅」はこちらです。
それでは。
この記事へのコメント
カルゴン
この北海道中に敷かれた鉄道路線図を眺めていますと、今はすっかりと寂しくなってしまったものです。
高度成長前の大変貧しい時代だったのに、これだけの路線を引くことが出来た国力は、今の日本からは全く想像が出来ませんよね。
やはり当時は鉄路>道路だったからかな。
温泉マン
私の小さい頃は付近の道路はすべて砂利道でした。
それが今はどうでしょうか、全てが舗装道路になり快適な走行ができます。
時代は鉄路による多量輸送時代から、個々の目的に応じた少量多種輸送の車社会に変化したという事ですね。
あの鉄道全盛期の北海道がとても懐かしく思い出されます。