トムラウシ温泉「東大雪荘」

我が家の温泉歩きは1987年8月、北海道の名湯・秘湯を紹介する本に出会ってから始まり、本格化したのは1990年に入ってからでした。
温泉巡りは主として私、妻、息子、娘の家族四人がほとんどでしたが、年に数回は同居していた私の母も一緒に旅行に行ったり温泉に泊まったりもしていました。
しかし、その母も今年6月、94年の生涯を終えました。


温泉巡りの中で、トムラウシ温泉「東大雪荘」は母にとって最も愛する温泉でした。
http://www.netbeet.ne.jp/~taisetsu/tomurausi1.html

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そんな母の思い出を含め少し書き綴らせていただきます。


私は1985年7月、脱サラ独立起業しました。
しかし、独立直後は会社運営もあまり軌道に乗らずストレスの続く毎日でした。


会社が少し軌道に乗り始めた1988年(昭和63年)6月、母との何気ない会話から先祖のルーツを訪ねてみたいとの話になりました。

我が家の先祖は富山県五箇山地方で母の先祖ルーツも同じく富山県でした。

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先祖ルーツの場所とは違いますが、こちらにも立ち寄ってみました。

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1988年3月は瀬戸大橋と青函トンネルが開通した年でもあり、寝台特急北斗星が上野-札幌間の運行を始めた年でもあります。

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ということで富山県へ我が家ルーツ探索の旅へ出発することとなりました。

札幌から富山までもちろん航空機でも行けますが、ここは少し趣向を変え母にも旅を楽しんでもらう交通手段を含む行程を考えました。

それは小樽からフェリーを利用し新潟まで行きその後電車で富山へ移動するというものです。
しかも新潟から直接富山へ行くのではなく、途中黒部峡谷のトロッコ電車体験と宇奈月温泉に泊まるという行程です。

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過去に青函連絡船にしか乗船経験のない母にとって長距離フェリー乗船は大変貴重な経験でした。

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船内には浴室設備もあり、そして休憩ラウンジは高級ホテルを彷彿する立派な物でした。

私もそうですが田舎生まれ田舎育ちの母にとっては正に竜宮城に来た気分だったかも知れません。

私の父は1968年(S43)10月、この旅行の20年前他界しています。
そんな事もありラウンジで休憩していると母が・・・

「こんな凄い体験はもうする事がないので、先に逝った父さんのためにも記念に写真を撮っておきたいね」

と言うので記念撮影する事にしました。

その時の写真がこちらです。

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この時の写真は翌年の我が家年賀状写真として使われました。


それ以来、その年に出掛けた旅先や温泉の写真が我が家の年賀状として使われるようになりました。


しかも前半は温泉での入浴シーンが使われる事が多かったのです。

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母もその事を意識するようになり、旅に出掛ける際

「今年はどこで写真撮るの?」

と、その事をある意味楽しみにするようになりました。


そんな中、当時密かに秘湯ブームが全国各地に誕生しました。

まだインターネットなどの情報がない中、テレビ番組などで人里離れた「秘湯」が多くの人の心を擽りました。


年賀状用に撮影したのですが実際ボツになったものがあります。
それがこちらの写真です。

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この写真撮影の際、息子と娘が入浴をいやがったので写っていないため不採用になりました。




北海道でも秘湯ブームが到来し、有名温泉地に加え山中の一軒宿を訪れる人が多くなりました。

1990年5月、我が家では以前から行ってみたいと思っていた秘湯「トムラウシ温泉 東大雪荘」に宿泊する機会を得ました。


当時新得町営の国民宿舎で木造の建物でした。

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この時訪れた混浴露天風呂での家族写真を撮ったですが、母がこの写真を気に入り来年の年賀状写真にしようとの話になりました。

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※写真は当時の混浴露天風呂です。今ではその跡が駐車場になっています。



それ以来母はトムラウシ温泉の大ファンになりました。

その理由はいくつかあります。
先ず田舎育ちの母にとってこの山中の大自然が良かったのだと思います。

もう一つは当時支配人だったF氏が母をとても優しく歓待いただいたことだったかもしれません。

母はそれ以来毎年ここトムラウシ温泉を訪れようになりました。

しばらく行かないと支配人から

「お母さん元気ですか?、また来られるのを待ってますよ!」

と気遣いの電話をいただくようになりました。


母は温泉を訪ね支配人とお話させて頂くことをとても楽しみしていました。

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その母も2005年頃から認知症が出始め翌2006年にはグループホームに入所することとなりました。
グループホームでは入所の方と毎日触れ合う時間も多く楽しい時間を過ごしていたのですが、ちょっとした事で足を骨折してしまい整形外科の専門病院を経由し介護型の病院に入院することとなりました。


人間歩けなくなると体力が急に衰えてきます。

その後母と温泉に行くこともなくなってしまいました。

今となっては毎年そうして作ってきた年賀状が母との貴重な思い出となりました。


今年5月、ここに勤務されている温泉仲間の方が退職されるとのことで妻と二人で日帰り訪問してきました。

露天風呂は昔と変わらず最高の湯でした。

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しかしそのその1ヶ月後、比較的安定していた母の容態が急変し6月22日家族に看取られ母は旅立ちました。

享年95歳でした。


そう言えば1995年元旦の年賀状写真もトムラウシ温泉でした。

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今後もトムラウシ温泉を思い出すたび、母の事も同時に頭を過ぎるものと思います。

トムラウシ温泉を訪れるたび、満面の笑みを浮かべていた母の顔を思い起こし、それが私のできた親孝行だったのではと思っています。


1989年元旦の年賀状に始まり2001年元旦の年賀状のうち4回がトムラウシ温泉の写真でした。
(※1992年元旦は前年祖母が亡くなったため年賀状作成はありませんでした)


それだけ母がこよなく愛していた温泉だったという事になります。



「親孝行、したいときには、親はなし」

とは正にその通りですね。


皆さんもご両親が健康な内に親孝行してみませんか?



従いまして我が家は喪中と言うこともあり、新年のご挨拶はご遠慮させていただきますのでよろしくお願い申し上げます。



■トムラウシ温泉「東大雪荘」はこちらです■

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