留萌本線、留萌-増毛間が明日(12/4)の運行をもって廃線を迎えます。
開業は1921年(大正10年)11月5日、95年の歴史に幕を閉じます。
鉄道大好き人間の私ですが、明日増毛には行かず自宅で静かに運行最後に思いを馳せたいと思います。
ここで私と留萌本線「留萌-増毛」間の思い出を少し綴ってみたいと思います。
私は昭和30年(1955)北海道空知管内妹背牛町の米農家に生まれました。
生まれた当時、農作業の多くは今のように機械化が進んでおらず、その多くが人手に頼らざるを得ませんでした。
中でも大変だったのが毎年5月中旬以降に行われていた「田植え」です。
この時期地元ではどこでも労働力不足で、留萌市や増毛町などの漁師のご婦人をアルバイトしてお願いしていました。
我が家では毎年、留萌市礼受の方にお手伝いいただいていました。
妹背牛までの交通手段は列車でなく父が運転する車でお迎え行き、仕事期間中は我が家に住み込みでした。
留萌市礼受までのルートは国道233号ではなく、妹背牛と増毛を結ぶ最短ルート、道道94号増毛稲田線を利用し増毛町阿分に抜けるものです。
したがって夏の忙しい農繁期の中で唯一の娯楽が海水浴で、良く行ったのは「舎熊」でした。
海のない空知にとって一年の中で唯一海を楽しめるのがこの時でした。
そしてその妹背牛の中での田舎に住む我が家にとって「魚介類」の購入は、月に2回ほどバイクでやってくる行商さんから購入するのが常でした。
支払は現金もありましたが、この頃はまだ「お米」で支払っていた事もありました。
行商さんが妹背牛の片田舎に魚を売りに来るのにはもう一つの理由がありました。
大の麻雀好きで農作業が一段落した頃、集落の集会所に近隣農家の人が集まって徹夜で楽しんでいました。
さて、私が最後に増毛駅へ列車で訪ねたのは今年5月7日の事でした。
旭川駅から「増毛ノロッコ号」に乗車し増毛駅まで乗車しました。
恵比島駅停車時、駅構内で「明日萌駅降車証明書」付きの沼田町特産品セットの販売がありました。
その時の模様が新聞でも紹介されました。
留萌駅でもノロッコ号到着に合わせ歓迎イベントが開催されました。
留萌駅でしばし停車していたので、市内で買い物をしたり列車を撮影したりする人も多かったです。
このサボを記念撮影する方も沢山いらっしゃいました。
列車は留萌を出発し終着の増毛駅へと向かいます。
途中、桜の木の傍で列車を見送るご老人の方がいらっしゃいました。
この光景をもう見られなくなると悲しい気持ちが込み上げてきます。
ノロッコ号はやがて終着増毛駅に到着です。
駅前では歓迎イベントもありました。
ノロッコ号について新聞でも紹介がありました。
留萌本線、留萌-増毛間の開業は1921年(大正10年)11月5日ですが、開業前に「阿分稲荷神社」がすでに存在していました。
※阿分稲荷神社建立は明治34年と言われています。
つまり鉄道が後でできたたため参道途中に線路が横切る形になりました。
12/5からは列車通過もないので、ここは昔の姿に戻る事になります。
何とも不思議な巡りあわせです。
こうしてブログ記事を書いている間にも廃線の時間が刻一刻と迫ってきています。
とても寂しく悲しい気持ちですが廃線後、ここが映画ロケ地を含め多くの方の思い出の場所として活用される事を願って止みません。
ありがとう「増毛駅」・・・
そして、さようなら「増毛駅」。
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