産業用無人ヘリコプター

「産業用無人ヘリコプター」と言うよりは、今では「ドローン」という方が一般的にはわかりやすい時代になりました。
1985年7月、私はそれまで勤めていた土木コンサルタント会社を辞めコンピュータソフト開発会社を起業しました。
その直後、何気なく見ていたNHKテレビに映しだされた1機の無人ヘリコプターに私は深く吸い込まれてしまいました。
その無人ヘリコプターは広大な畑で農薬散布を実施していました。

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※写真はNHKで放送された機種と同系機の飛行イメージです。



土木コンサルタント勤務時代、私は「開発行為」を担当していました。

「開発行為」とは都市計画法(昭和四十三年六月十五日法律第百号)の下、「主として建築物の建築又は特定工作物の建設の用に供する目的で行う土地の区画形質の変更」のことを指します。

わかりやすく言えば、未開発な土地に道路や上下水道を整備し住宅地を造成しつつ公園や小学校用地などを確保する行為で、一定規模以上の開発行為には都道府県知事等の許可が必要となります。

札幌市の場合、政令指定都市ですので札幌市長に対し許可が必要となります。

「開発行為」の仕事は許認可に必要な書類や図面作成、あるいは地権者や役所との協議を実施することです。


私が在職中、札幌市南区のある開発行為を担当しました。

そこには一部森林があり、開発のため伐採が必要でした。

札幌市から伐採にあたりその樹木の種類、樹高、目通り、葉張り・本数を報告するようにと指示があり、私はその森林の中を1週間以上にわたり調査を実施することとなりました。

夏の暑い時期であっただけにその調査は過酷を極めました。

その時、私の頭の中で

「空から写真を撮ったら短時間で調査を終えられるのだが・・・」

と考えていました。

しかし、実機の飛行機やヘリコプターに空中写真撮影を依頼すると多額な費用がかかり現実的ではありませんでした。


過去にそんな思いをした私ですので前述のNHKテレビに映しだされた無人ヘリコプターを見て

「これだ!!」

と実感したのでした。


そのヘリの詳細を確認したく、私はNHK札幌放送局へ電話したのです。

するとそれは国立の農林水産省北海道農業試験場(現、独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 北海道農業研究センター)での実験飛行を取材したもので、担当の方の連絡先を教えていただきました。

私は教えていただいた連絡先に電話すると、そのヘリの製造元は「こうべ技研(兵庫県龍野市)」であることが判明しました。
※こうべ技研は廃業し現在はありません。


製造元のこうべ技研へ電話し

私:「一度そちらにお伺いし話しさせていただきその産業用ヘリコプターを見せていただきたいのですが・・・」

とお願いしたところ

こうべ技研社長:「良ければ是非当社をお訪ね下さい」

との話しになりました。


私は当時仕事でお付き合いのあったワープロスクール(懐かしいww)を経営していた社長を誘い、その年の10月、兵庫県龍野市へと向かったのでした。


32年前の話しですので詳細の日程を忘れていましたが過去のスケジュール帳を引っ張り出し1985年を見て見ると記録がありました。

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こうべ技研を訪ね社長からNHKで放送された産業無人ヘリの同系機種を見せていただき、いろいろと話しをさせていただきました。

こうべ技研は元々は模型用ラジコンヘリコプターの製造メーカーでしたが、農林水産省の外郭団体から「松くい虫」防除のため、農薬散布用産業用無人ヘリコプターの開発を委託され製造したものでした。


農業分野での需要もあることはわかっていましたが、私は土木コンサルタント時代の懸案だった「空撮用無人ヘリコプター」の開発を提案させていただきました。



こうべ技研社長も当時「バカチョンカメラ」と言われていた機種を搭載し遠隔でシャッターを切る装置を開発し写真を撮った経験を持っていましたが、如何せんモニターカメラを搭載していないため撮影アングルの確認ができない状態であったため、適当にシャッターを切りその中から目的に見合った写真をピックアップするという単純なものでした。


それでは素人写真として通用しても業務としては使い物になりません。


そこで私は、先ず目的の撮影アングルを地上で確認できるモニターシステム開発をするため実験を始めることを社長に提案したのです。


カメラファインダーを覗く小型カメラも考えましたが、一番単純なのは撮影用のスチルカメラの他にモニター用のビデオカメラを搭載し、その画角差を地上のモニターカメラにビニールテープでスチルカメラの画角を表示するというシンプルなものでした。


ここで問題になるのが、ビデオカメラ映像をどうやって無人ヘリから地上に送りそしてどうやって地上で受信するかです。

こうした送受信機を専用で試作するとなると高額な費用がかかります。


そこで考えたのが既製品を使うという事です。

今回はあくまでも実験ということなのでアマチュア無線を利用してみる事にしました。

しかし受信機は地上に設置するので大きさや重量はさほどきになりませんが、無人ヘリコプターに搭載する方は小型で軽量なければなりません。


そこで私は神奈川県にある会社に相談に行くこととしました。

その会社はオリジナルのアマチュア無線機器開発を行っており、社長に今回の経緯をお話すると二つ返事OKをおただきました。

そして、当時アマチュア無線で映像を送るのは「AM型式」が主流でしたが、外部ノイズに強い「FM方式」で試作していただくこととなりました。


それから数ヶ月後、送信用試作機が完成し、受信機は既製の機器を利用し実験が行われ、見事大成功となりました。


こうして中小・零細企業の技術が日本を下支えしていると私は実感しています。




その後産業用ヘリコプターにあの世界最高峰と言われる「ハッセルブラッド」のカメラ(350万円)を搭載しました。
http://www.hasselblad.com/jp


それはこうべ技研社長は

「うちのヘリが安全で世界最高峰と称するためには世界で一番のカメラを積むのが一番」

という理由からです。

1988年(S63)、当時ハッセルブラッドの日本輸入代理店であった会社からの薦めもあり、京都で開催された「第16 回国際写真測量リモートセンシング学会」にこうべ技研も産業用無人ヘリコプターを出展しました。


当時写真測量リモートセンシングの世界で高度30m以下は高所作業車、クレーンそしてバルーンが、300m以上の高度では実機のヘリや飛行機が、さらに高々度では衛星写真となっていましたが高度30m~300m世界はある意味空白地帯でこの高度範囲で確立した撮影機器が存在せず、来場した世界各国の関係者から注目を浴びました。

ハッセルブラッドHPを見ると、ドローンに搭載した様子が掲載されていて時代の流れを感じます。

当時としてはとても画期的なチャレンジだったと思っています。



そんな事もあり、その後某大手広告代理店から、専用の産業用無人ヘリコプターの注文が入ります

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価格は1機1,000万円です。



一見、産業用無人ヘリコプターの先行きは明るいかのように思えましたが、私としては産業用に広めるためにはいくつかの不安材料がありました。


1.産業用無人ヘリコプターの操縦性簡便化

  ラジコンヘリコプターの操縦は極めて難しく、自動車の運転のように短期間の訓練でその能力を得ることは難しいため、産業用無人ヘリコプター普及には操縦を簡便に行える技術開発が不可欠である。


2.専用の電波割り当ての必要性
  模型用ラジコンヘリには複数の周波数が割り当てられており、協議会などで同時に複数機を飛ばす場合、それぞれ違う周波数を利用する調整を行い混信を防止している。


3.万が一の事故に備え、保険関係の整備
  模型用とは違い、産業用無人ヘリは形状や重量も大きく、万が一墜落や人との接触で重大事故に発展する場合が想定され、その場合の補償に対する備えが不可欠である。


4.産業用無人ヘリコプター飛行に関する法整備
  現在はドローン普及により関係法令が整備されつつありますが、当時はそのガイドラインが曖昧であった。

 etc...





私は模型用ラジコンヘリについてはこの時まで全く知識がなく、その業界の事に関して無知でした。


前述しましたが、産業用無人ヘリコプターを普及させるための最大ポイントは「操縦技術」をいかに簡便にできるかという点にあります。



この問題に直面しラジコンヘリに関して素人の私は単純にこう考えました。

「産業用無人ヘリコプターの形状は実機のスケールダウンである必要があるのか?」




当時から複数ローターを使用したラジコンヘリもあったのです。

しかし何故それは普及しなかったのでしょうか?

私がお付き合いしていた「こうべ技研」から感じた答えは「経営者としてのプライド」ではなく「マニアとしてのプライド」にあったと私は振り返ります。



・模型用ラジコンヘリの世界ではヘリ操縦は難しいからこそ価値が高く、その操縦技術を競うもの

・模型用ラジコンヘリの世界では飛行の美しさの観点から実機スケールダウン機を使い、時には実機では安全上行わない飛行パターンも実施



こうべ技研は模型用ラジコンヘリメーカーとして育ってきたため「趣味」「ビジネス」の世界におけるスタンスの違いを十分に反映できなかったのではと感じています。


「趣味(マニア)」の喜びや感動の余韻はある意味、自身の知識や技術の秀逸さを他人に披露し自慢する事にあります。

しかしそれが「ビジネス」となった場合、他人に喜んでいただき感動の余韻を与え多くの方にリピーターになっていただくことが目的です。



個人的趣味をビジネス展開したとき、往々にして後者の考えではなく前者の延長になってしまう事例が多く見受けられます。



その結果、技術面を簡便化しドローンの世界で圧倒的シェアを誇ることになったのが中国深圳に本社を持つ「DJI社」です。
http://www.dji.com/jp


操縦の簡便化もあり一挙に全世界へと普及することとなりました。

こうした精密技術分野を得意とする日本で世界シェアを取ることができなかったのか残念でなりません。


しかし日本の技術も漫然としてしている訳ではありません。

国土交通省では少子高齢化に伴い人材不足を補う目的を含め「i-condtruction」構想を提起しています。
http://www.mlit.go.jp/tec/tec_tk_000028.html

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「趣味」「ビジネス」で最近感じた事があります。


それは「鉄道」の世界です。


前述しましたが、マニアが鉄道の経営状況を考えることなく鉄道コンテンツに自己満足することは否定いたしません。

しかし経営面、ビジネスとして鉄道運営を考えるとそれでは成り立たないことは明確です。


そこには並々ならぬノウハウや経営手腕・能力が必要となります。



当ブログで何度もご紹介している千葉県にある「いすみ鉄道」はまさに成功を収めたビジネスモデルと言って過言ではありません。
http://www.isumirail.co.jp/



さて私はラジコンヘリの世界に入り模型用ラジコンヘリ業界で世界シェアを持つ会社が広島県にある事をこの時知りました。

「ヒロボー株式会社」です。

この会社、創立時の名称は「広島紡績株式会社」で1949年(S24)設立です。


広島県内唯一の紡績会社でしたが、その後構造不況により紡績事業を撤退し1973年(S48)、ラジコンヘリコプター事業に参入した、とてもユニークであり先見性のある会社でした。


■ヒロボー株式会社
広島県公式HPにも「オンリーワン・ナンバーワン企業」として紹介されています。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/onlyonenoonezigyou/1172473546444.html


現在、ヒロボーでは、産業用ドローンの世界にも進出をしています。


構造不況になった紡績業から転身しラジコンヘリ製造会社に、そしてさらに昨今急成長している産業用ドローン開発の国内メーカーとして大いに期待せずにはいられません。




今日の「ドローン」普及や「ローカル線活性化」を見るにあたり、経営者の「先見性」が問われる時代に入ったとつくづく感じているこの頃です。





廃業したこうべ技研ですが、当時会社隣にあった社長の自宅にお邪魔しビックリした事があります。

会社事務所はお世辞にも立派とは言えず、ちょっと大きな地震があると倒壊しそうな古い木造造りでした。

例えれば老朽化のため来月閉店する「福来軒 本店」のような建物です。

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※福来軒様、例に引き出してしまい誠に申し訳ございません。


それは中庭にミニSL用の線路が敷いてあり、そこに本物と同じく石炭を焚き走行するミニSLが走っていたことです。

たしか社長はこのミニSLを3両持っていたと記憶しています。

当時1両800万~1,000万円すると聞きました。

昔働いていた従業員の話では社長は現在関西の違う場所に住んでいると聞きました。

社長、あのミニSLはどうなったのでしょうか?

今考えると、産業用無人ヘリコプター開発よりはミニSLを活用したビジネスの方が成功していたかも知れません。

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