昭和から平成そして令和へ

いよいよ本日は平成最後の日となりました。
30年前の昭和から平成へ遷り変わる時代、我が家ではどんな旅をしていたのか過去の写真を紐解いてみました。

昭和最後の日は「昭和64年1月7日」で平成最初の日は「平成元年1月8日」でした。

我が家記録写真はこの頃、まだ銀塩時代でありその多くがネガの状態で残っており僅かにその一部プリントされていたものをスキャンニングしたのがブログなどで使用しています。

現役を完全引退したらみかん箱5個に詰まったネガをすべてデジタル化したいと思っていますが、果たしてその夢が叶うか最近いささか疑問に思い始めました


デジタル化したその頃の写真を見てみると流石に改元前後の撮ったものは見あたりませんでした。

改元4ヶ月前の昭和63年(1988)9月1日、家族で出かけた鉄旅の写真が残っていました。


写真に残っていたのは深名線乗車の写真でした。

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ご承知のように昭和62年(1987)4月1日、国鉄は民営化され北海道に於いてはJR北海道(北海道旅客鉄道株式会社)が誕生しました。

これを機に多くの赤字路線が北海道から姿を消すこととなりましたが諸般の理由から廃止が延期された路線がありました。

それが深名線でした。

深名線の廃止は平成7年(1995)9月4日でした。

営業係数が常にワースト10に入るという大赤字の路線で、赤字83線や特定地方交通線の廃止論議にもその都度候補にあげられていたこの路線が昭和62年の国鉄民営化に廃線しバス転換されなかったのにはこの地ならではの事情がありました。

鉄道が廃止されバス転換される際、鉄道と並行して走る道路に代替バスが運行されるのが通例です。

深川市と幌加内町朱鞠内、母子里間は国道275号が整備されていたためバス転換に問題なかったのですが、朱鞠内(母子里)~名寄間に問題がありました。


母子里駅~名寄駅間に並行して走る道路は道道688号名寄遠別線で、この区間は北海道有数の豪雪地帯であり途中にある「名寄峠」は冬期通行止となっていました。

鉄道時代から通年運行が使命のためこの区間の道路も通年通行できなくてはバス転換できませんでした。

1992年(H4)に名寄と母子里を結ぶ名母トンネルが開通して、並行道路の通年通行が実現します。

これを踏まえてJR北海道は1994年(H6)12月、」バス転換の意向を表明し翌1995年(H7)5月には沿線自治体の深川、名寄の両市と幌加内町が同意します。

同年9月3日を最後に深名線は廃止され、翌日からJR北海道直営の転換バスが走り始めました。


深名線は深川市、幌加内町、名寄市を走っていました。

この当時の幌加内町は空知管内で妹背牛町で生まれ育った私にとって幌加内町は身近な存在でした。

中学時代、野球部に所属していた私は中体連の大会で幌加内町内の中学校と良く対戦していました。


妹背牛町に中学校が1校しかなかったのに対し、当時幌加内町には朱鞠内中、添牛内中、政和中、幌加内中、沼牛中があったと記憶しています。

大会のほとんどが深川市での開催だったので選手・先生は深名線に乗って深川市にやって来ていました。


平成7年(1995)9月4日には深名線が廃止となり、平成22年(2010)4月1日には幌加内町は空知管内から上川管内へと管轄が移動となりました。


昭和63年3月13日、青函トンネルが営業開始となり函館~青森を結ぶ快速列車が、そして同時に寝台特急「北斗星」、急行「はまなす」も運行を始めました。

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国鉄からJRになり、道民は鉄道の将来に大きな夢を描いていました。

国鉄時代にはなかった新しい時代の長距離寝台列車が乗り換えなしで北海道と東北・本州を結ぶ夢実現に多くの方が感動したのです。

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特に急行「はまなす」は札幌と青森を結ぶ夜行列車として多くのファンがいました。

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考えてみると「平成」は北海道の鉄道史に明るい未来を期待させつつスタートし、そして暗い影を落としつつ終わりを迎える気がしてなりません。


あれから30年・・・・

JR北海道の経営は今や瀕死の状態にまでなってしまい、新幹線延伸とともにと夜行寝台の廃止となり、正直魅力の乏しい交通機関になってしまった感が否めません。


JR東日本「風っこそうや」や東急電鉄「ロイヤルエクスプレス」運行の明るい話題が待っています。
https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/20190419_KO_KazekoSouya.pdf#search=%27%E9%A2%A8%E3%81%A3%E3%81%93%E3%81%9D%E3%81%86%E3%82%84%27
http://tetsudo-shimbun.com/headline/entry-1628.html


明日から始まる「令和」時代が北海道の鉄路にとって明るい未来を構築していただけるよう心から願うばかりです。

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