私の温泉旅を振り返る 「家族への感謝 #2」

私の温泉旅を振り返る「家族への感謝」、2回目として私のもう一つの趣味である「鉄道」にも触れさせていただきます。

私の温泉旅は社会人になってから本格化したのですが「鉄道」の世界に嵌ったのは今から56年前、小学5年(11歳)の時、父が買ってくれた「道内時刻表」です。

当時の路線図です。
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何とも凄い数ですね。
当時、道内に217市町村があり、鉄道のない市町村は1割程度だったと思います。

私の記憶の範囲で昭和42年3月現在、道内217市町村の中で鉄路(国鉄・私鉄・簡易鉄道含む)がなかった市町村を列記してみます。
※間違いがありましたらご指摘いただけましたら幸いです。
【1967年(S42)】3月末現在 ※順不同
1.朝日町(現、士別市)
2.東藻琴村(現、大空町)
3.羅臼町
4.えりも町
5.占冠村(石勝線開業は1981年(S56)10月1日)
6.東神楽町
7.北村(現、岩見沢市)
8.浜益村(現、石狩市)
9.厚田村(現、石狩市)
10.石狩市
11.古平町
12.積丹町
13.神恵内村
14.泊村
15.島牧村
16.洞爺村(2006年(H18)3月27日、洞爺湖町に合併)
17.大成町
18.乙部町
19.厚沢部町
20.戸井町(現、函館市)
21.恵山町(現、函館市)
22.椴法華村(現、函館市)
23.南茅部町(現、函館市)
24.礼文町
25.利尻町
26.東利尻町(現、利尻富士町)
27.江差町

当時217市町村あったので道内190市町村(88%)に鉄路があったことになります。
 
つまり多くの町に鉄道駅が存在していて、我が町に駅がなくてもそれほど遠くない場所に利用可能な駅が存在したことになります。

私が生まれ育った町は妹背牛町で函館本線「妹背牛駅」がありました。

幼少の頃は駅員が数名常駐する有人駅で手荷物・小荷物扱いがありました。
駅舎内に売店もありました。

我が家は米農家で小学4年の時(S40)、豊作で収入が多かったので父はこの年の秋に車を購入しました。
※矢印が私で一緒に写っているのは従弟(父の弟さんの息子)です。
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ご近所で車を購入したのは我が家が一番先でした。

実はこの年、父が車を購入したのは豊作だった以外にもう一つ理由がありました。

それはこの年の夏、父は祖母をバイクに乗せ町に買い物に行く際、砂利道にハンドルを取られ転倒し、祖母がケガをしてしまいました。

今考えると父はもう二度と祖母をバイクによる転倒事故でケガをさせることのないよう二輪から四輪による移動を考えたのだと思っています。

当時多くの道路が砂利道で、妹背牛町から札幌へ向かう舗装路は国道12号が主でした。

私は二人の姉がいて3姉弟です。

小学5年時、一番上の姉が結婚し江別市大麻に住んでいました。
翌年、我が家父母にとって初孫となる男の子が誕生し、秋の収穫を終えた父母はマイカーを利用して夜に江別市大麻を訪ねます。
それは初孫に「端午の節句飾り」を買って届けるためです。

妹背牛町の田舎をマイカーで出発し江別市に向かいます。

「端午の節句飾り」購入と言っても田舎者の父は江別市のお店に知識などある訳もなくお店を見つけても夜間ということもあり開いていませんでした。

それでも父は閉まったシャッターを叩き、お店を開けていただき何とか「 端午の節句飾り(兜)」を買うことができました。

今から56年前の話ですが私はハッキリと覚えています。

父にとって初孫はそれだけ嬉しかったのだと思います。

余談ですが、私の生家から妹背牛駅までは約7kmありました。

しかし、雨竜川を挟んだ隣町「北竜町」にあった札沼線「和駅」までは4kmで妹背牛駅より近かったのです。
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しかしながら札幌までの所要時間が3時間半ほどかかり利用したのは1回限りでした。

昭和43(1968)年8月28日、北海道で初めて小樽~滝川間が電化されました。

また翌年の昭和44年(1969)年10月1日、滝川~旭川間も電化され、妹背牛駅に電車が運行されるようになりました。

これにより妹背牛~札幌間は電車で2時間を切る所要時間になりました。
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残念ながら父は私が中学2年の秋(昭和43年10月)に亡くなり妹背牛駅から電車に乗ることはありませんでした。
そのことが少々悔やまれます。

私は昭和45年4月に滝川高校に通学し電車通学していました。

妹背牛駅から滝川駅までは2駅で、途中に江部乙駅がありました。

江部乙町が滝川市と合併したのは昭和46年(1971)年4月1日で、その時はまだ江部乙町で、私が高校2年生の時でした。

54年前のことですがとても懐かしく思い出されます。


さて、幼少の頃の妹背牛の話はこのくらいにして、カミさんと結婚してからの「鉄道旅」についてお伝えさせていただきます。

1978年(S53)4月、私も社会人になりましたが建設業界に就職したため冬季間以外は仕事が多忙で旅行どころではありませんでした。

1981年11月22日、私は結婚し母が1階我が家夫婦が2階の2世帯での同居が始まります
2014年6月に母が亡くなる迄の33年間、同居し母の面倒を見てくれたカミさんに心から感謝しています。

1985年(S60)7月、私は脱サラ起業しました。

起業後すぐは時間が取れませんでしたがその後旅をする余裕がでてきました。

1988年(S63)3月13日、青函トンネルが開通し同時に運行を開始した「北斗星」に母とカミさんを乗車させたいと思いました。

しかし開業から予約がとりづらく6月になりようやく予約できました。

その際、このブログ記事でもご紹介した、以前江別市大麻に居住していた私の姉も近所にマイホームを購入し住んでいたので一緒に同行したいとの話になり、我が家家族(私、妻、息子、娘、母)に姉の合計6名で我が家ルーツである富山県東礪波郡平村(現、南砺市)に行くことになりました。

その時の模様は下記ブログ記事をご参照いただけましたら幸いです。
https://onsenmanhokkaido.seesaa.net/article/201407article_1.html

行きは小樽からフェリーで新潟へ、その後富山訪問後は新幹線で東京に移動し上野から札幌へは「北斗星」に乗車し帰って来ました。

しかし、人気列車だったため確保できた席は「A寝台ツインデラックス 1室」と「B寝台 2ヶ所」でした。

「A寝台ツインデラックス 1室」は母と姉に提供し、我が家夫婦は「B寝台 2ヶ所」にしました。

しかし「B寝台 2ヶ所」は離れた場所だったのと私は息子とカミさんは娘との添い寝だったためゆっくり寝ることは不可能でした。

したがって、我が家夫婦や子供は「A寝台ツインデラックス」や「ロビーカー」で寛いでいました。

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カミさんは母と姉が個室を利用することに対し何の文句も言いませんでした。
これにはただただ感謝しかありません。

しかし、とても嬉しいこともありました。

青森駅で車掌さんがJR東日本からJR北海道へと交代になり、息子や娘にやさしく対応いただき記念の定規までいただきました。

これには感動しました。本当に感謝の気持ちで一杯です。
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いつしかそんなカミさんにいつか北斗星をゆっくり楽しんでもらおうと決意したのです。

そしてそれから2年後の1990年3月、家族で東京ディズニーランドの旅で札幌→上野で北斗星「A寝台ツインデラックス」が予約できグランシャリオでディナーもいただきました。
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そして帰りの上野→札幌では北斗星1編成で2室しかなかった「A寝台(ロイヤル)」を我が家で独占させていただきました。
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2年前に乗車したB寝台の添い寝の苦しさもなくカミさんに「北斗星」を堪能いただけたものと思います。

最後に「北斗星」に乗車したのは1998年3月、札幌から上野まで「B寝台デュエット」に乗車しました。
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カミさんはどちらかというと鉄分の薄い人間です。

一般的な女性からすればそれが当たり前かもしれません。

今度いつか単にマニアックな列車に乗車するのではく「車窓と食事」を楽しめる列車に乗ってもらおうと考えていました。

2006年6月、その時が訪れました。

道南いさりび鉄道の観光列車「ながまれ海峡号」に乗車することになりカミさんと同行しました。
https://www.shr-isaribi.jp/eventinfo/9583/
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一人10,000円程度の料金でこうした鉄道観光旅ができることに感動です。

函館駅に戻りカミさんはマスコミの取材も受けました。
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今後全国のこうしたリーズナブルな観光列車にカミさんと同行したいと考えていました。

昨年4月下旬私はえちごトキめき鉄道の観光リゾート列車「雪月花」に乗車し感動しました。
https://www.echigo-tokimeki.co.jp/setsugekka/
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この時の様子は、えちごトキめき鉄道、鳥塚社長のブログでもご紹介いただきました。
https://www.torizuka.club/2022/04/29/%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%87%e3%83%b3%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%82%af%e3%80%80%e5%88%9d%e6%97%a5/
残念ながらこの時カミさんは同行していませんでしたので是非次回はカミさん同行で訪ねたいと思います。

そして全国で運行してる数万円程度で乗車できる観光列車にカミさんと乗車し合わせて近隣の温泉巡りができたらと考えています。

それでは今後とも当ブログ「北海道人の独り言」をよろしくお願いいたします。

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